デモクラシーには時間が必要。教職員・学校の多忙化は、民主的な学校づくりを阻む。

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デモクラシーには時間がかかる。
考える時間、信頼関係を構築するためのコミュニケーションの時間、話し合う時間、試行錯誤する時間・・・
 

本当は、こどもたちにゆっくり考えさせてあげたい。納得いくまで話し合うことが大事だ、と思っている先生は多い。そのためにもしっかり子どもを観察して、丁寧に関わりたいと願っている。子どもたちがやりたい!とモチベーションを持ったことをやらせてあげたいとも思っている。
 
だけど先生たちは忙しい。
「教科の学習を、今週中にここまで進めなければならない」
「来週テストがあるから、その対策をさせなければ」
「提出物のチェックをして、忘れ物チェックも・・・」
「分掌の仕事を、次の会議までに終わらせておかねば・・・」

部活もあるし、生徒指導案件も発生するし、保護者に連絡したり相談に乗ったりしていたら、定時までに授業準備はだいたいできない。
家庭の時間・プライベートを犠牲にして、仕事に忙殺されている。
  
学校で忙しいのは、なにも先生だけではない。実は子ども・生徒たちも忙しい。
「教科の学習を、今週中にここまで進めなければならない」→子ども・生徒たちはそれについていかなければならない。
「来週テストがあるから、その対策をさせなければ」→するのは子ども・生徒たち。

Todoがたくさんあって、こなすことが目的化する。目的がわからないまま追われる。
先生にとっても、子どもにとっても、そんなことが起こっている。
そんな中では子どもたちの「やりたい!」や「わからない」や「納得いかない・・・」という、民主的な学びの場においては尊重されるべき声は、スルーされたり、時には高圧的に黙らされたりして、かき消されてしまう。

じっくり考える時間、信頼関係を構築するために関わり合う時間、話し合う時間、試行錯誤する時間・・・実はあまりないし、あったとしても優先順位が低い。
 
今、働き方改革の大きな流れの中で、学校の先生たちの多忙化問題がクローズアップされてきている。いいことだし、とても大事なことだと思う。
この問題は、大きなシステムの問題であるし、学校独自での意思決定の問題でもあるし、教職員のカルチャーの問題でもあるし、個人の工夫(業務効率化)でマシになる部分もある程度あるだろうと思う。それを進めるためのお手伝いは積極的にしていきたい。

同時に、子ども主体の学びを可能にするためには、時間割はもっとフレキシブルである必要があるし、これまでやっていきたことをやめる必要もあるだろう。
今、主体的・対話的で深い学びを進めるという方向性の中で、「カリキュラムマネジメント」の必要性が言われているが、カリキュラムが、より柔軟なものになっていく方向性に進んでいくことを強く願う。逆に働く可能性もあると思うので・・・。
これも、増え続ける「教育内容」「行事」「慣例」をなくしていく方向の改革を、後押ししていきたい。(新しいものが入るのは悪いことではないけれど、今まで増えたものを見直さずにどんどん増えるのは本当に非生産的だと思う)
 
今更ながら「ゆとり教育」って、今までバッシングされやすいしネーミングミスだとずっと思ってきたけど、一周回っていい名前な気がしてくるなぁ。