フランス同時テロによせて。

今朝は、実家で目を覚ます。
玄関に落ちていた新聞の一面。
「フランス同時テロ IS犯行声明」の見出しに涙が出た。
繰り返されて増幅する憎悪・悲しみ、負の連鎖はどうすれば断ち切れるのだろう。

オランド大統領による非常事態宣言、「我々は戦争に直面している」というコメント。
各国からのテロへの非難とフランスへの連帯・支援声明。
もちろんテロは許容すべきものではない。
亡くなった方や、その家族や恋人や、大切な人たちのことを想像すると本当に胸が苦しい。
でも、「テロに屈しない」「卑劣な行為」という強いコメントにもやもやした感情も覚える。
Facebookで広がっているフランスの国旗のアイコンにも、私はなんか違う、と思う。

テロを起こした人たちの味方はできない。ISのやっていることは確かに酷く、許せない。テロだけでなくシリアでやっていることも。
でも、それを引き起こしているものが何なのか、裏側もちゃんと見たい。知りたい。
今繰り返されているテロは、虐げられ、踏みつけられ、屈折してしまった弱者たちによる報復なのではないか。また、それら弱者の憎悪を利用する者たちによる犯行ではないのか。
それにまた、力(空爆)で抵抗して、何か解決するのだろうか。
終わりのない迷路に、堕ちていくだけではないか。

中東では、毎日のように、一般市民や子どもたちの頭の上に爆弾が降っている。
対テロ戦争という「正義」の名のもとに。

安倍首相は、「共通の価値観を奉ずるフランスが、いま困難に直面している。日本国民はフランス国民とともにある。 我々は結束を表明する」と述べたそうだ。
アメリカのオバマ大統領は今回のテロを「人類が共有する普遍的な価値への攻撃」として非難した。

そうかもしれない。いや、確かにそう言えると思う。
日本や欧米の国々が報じている普遍的な価値...おそらく、民主主義や、自由、人権の概念のことを言っているのだろう。そしてその価値は私も大切にしたいと思っている。
でも。紛争の原因をつくり、空爆で一般市民をたくさん死なせてテロの温床を生み出しているのは誰。テロリストと一般市民を一緒くたにして敵視して、ムスリムの人たちに社会不信を抱かせているのは誰。そのことに無知で無理解なのは、そこに思いをはせることができていないのは誰。
この世界における、中東の国々に暮らす人々と、先進国・欧米の命の価値の扱いは、客観的に言って、まったく平等じゃない。そのことに、先進国に生きる私は自覚的でいたい。

力に力で対抗しても状況はひどくなるばかりだろう。対話と政治の回路を見つけないといけない。夢見事のように思われるかもしれないけれど、それが根本解決に向けた最も現実的路線ではないか。

バタバタとした日常の中で、つい簡単に忘れそうになってしまうけれど、こうではない世界をつくりたいのだ。こうではない世界にしたいがために、仕事をしているのだ。
だからもっと勉強しないといけない。もっと考えないといけない。もっと人と向き合わないといけない。という思いを強くさせられた。

テロに遭い、尊い命を奪われた皆さんに心から哀悼の意を。
被害者にも加害者にもならなくていい、世界に一歩でも近づけたい。

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以下、私が、共感した記事を共有しておきます。

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