自由の森学園の音楽祭

気持ちよさそうに歌う人たちを見るのは幸せだ。

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12月18日、念願叶って自由の森学園の音楽祭に行ってきた。
自森の音楽祭は2日間使って実施されるのだが、私達が訪れたのは2日目。
クラス合唱と学年合唱と、全校合唱と、フィナーレが行われる。

 

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以前から、自由の森の生徒たちの表現に触れることが好きだ。
初めて訪れた際、学習発表会で『世界とつながる』という授業で1学期間学んだことを、ステージで語っている生徒の言葉に、涙が出た。
間違いなく、彼女の頭と心と身体を通って紡がれた彼女の言葉だと感じた。
自分の考えや感覚を手放さないで、あくまでも自分を出発点に、世界とつながる過程。
それを表現にかえて、他者と共有しようとする。
そこに社会をつくる、世界が変わる"芽"のようなものを感じて感動したのだと今になって思う。

絵もすごい。同じカラスの剥製をみて、同じ「森」というテーマで、まったくバラバラの絵が生まれる。

2年間かけて丸太から椅子を彫り出す。ここまでくると、「育てる」みたいな感覚になりそうだ。

 * * *

さて今回の話。

クラスごとの合唱。それぞれのクラスで話し合って決めた歌を、クラスによっては演出を加えながら、歌う。ピアノの位置も、歌う場所のレイアウトも、クラスごとに毎回変わる。

 

音響や照明も生徒がしていた。

 

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MCも生徒が担当。次のクラスが歌う準備ができるまで、スターウォーズの話でつなぐなど、MC力が高い(笑)

内輪受け感はあるけれど、彼らのための行事なのだから問題ないと私は思う。

 

MCによるクラス紹介の中で、「クラスのアイドル」を聞くという項目があった。

かっこいい人、かわいい人を聞く、というようなニュアンスで、「このコーナー、ちょっと微妙だな」と私は正直思った。私と同じようなことに引っかかりを覚える先生が自由の森にいないとは思いにくい。でも、ここにストップをかけないのが自由の森っぽいかも、と思ったりもする。

規制が先立つと、表現のハードルが上がる。「とりあえず出してみる」ということ損なわれる。生徒が今どんなステップにいて、以前、「鶏を食べる話と少年兵の話を同列に扱っていて、あれは違うと思う」と鬼沢さんが言った。でも、それを本人に今いうか言わないか、考えているように感じる。バランスを取っている。

 

自由の森学園では合唱に立つこと、歌うことは強制されない。出なくてもいい。というか、「だって無理やり引っ張ってきて歌わせることなんて不可能でしょ?」という感じ。そりゃそうだ。本来的にはそのはず。
もともとクラスの人数も多くないので、それに加えて出ない人が多いと、そのクラス合唱の人数はけっこう少なくなる。やはり人数が少ないと迫力に欠けたり、さみしい感じはある。

でも、歌いたい人が歌っている合唱はすごくって、感動する。歌いながら身体が動く。表情もさまざま。とても気持ちよさそうな子や絞り出すように声を出す子が多いのが印象的。

 

ステージで歌うということは私にとっては特別なことだ。彼らにとっても一定程度はそうなのだろうけど、なんというか、もっと「普通」っていう感じがする。歌うことは特別なことではなくて、暮らすことや学ぶことの中に溶け込んでいるみたい。それでいて生きるエネルギーの発露のよう。
多分、歌うことだけじゃなくて、言葉を紡ぐことも、絵を描くことも、ものをつくることも、踊ることも。それぞれ自分の気持ちのよい方法で表現をすることができるって尊いなぁ。

生きることは表現することなのかもしれない。そう思うと、息ができなくなるようなことがなんて多いのだろう。また、息の吸い方としての"表現"の術を持たない人もきっと多いだろう。

 

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全校合唱は圧巻だった。すごい。

このあと、会は一旦締められ、フィナーレへ。フィナーレは、さながらクラブイベントのような状態になる。

有志のバンドが演奏し、生徒たちが飛び跳ね歌い踊る。

一部保護者も歌って踊る。

中1から高3までいる中で、体格差もあって、激しくやり過ぎるとぶつかってケガがでたりする可能性もあり、それを実行委員の生徒たちが時々注意を呼びかけるシーンもあった。注意されて反発を示す生徒もいて、「ああ、ここには常に"自由とは何だ?!"というテーマが横たわっているのだな」と改めて思う。

 

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いい1日だった。自由の森にはいつも、元気と発見と、問いをもらう。

きっと数年以内にまた音楽祭に行くのだろうけど、その時はまた違うことを思うんだろうな。楽しみ。