多様な教育に出会うことの3つの意味

実は今年で、活動を始めて10年目を迎えているコアプラス
一番初めは、私と現・理事のりんりんこと神野有希が当時全盛期だったmixiで出会い、意気投合したことから始まった。

初めにつけた活動名は「学校見学プロジェクト」(笑)
その後、「教育の多様性体感プロジェクトCORE」となり、「CORE+」となり、現在の「一般社団法人アプラス」という変遷を辿った。

特に、「教育の多様性体感プロジェクト」というふうに名乗っていた時期は長く、現在のフィールドスタディ事業に当たる教育現場を実際に訪問する国内スタディツアーが、もっとも長い事業になる。そしてその次が多様な教育の博覧会・エデュコレ

つまり、コアプラスは10年前から、多様な教育に出会うことに意味を見出し、それを提案する事業を続けてきたと言える。団体としての重要なアイデンティティがそこにはあると思っている。


教育現場に身を置く人や、教育を志す人は、絶対に多様な教育を見るべきだと私は思う。
ここでいう「多様な教育」というのは、いわゆるオルタナティブ教育だけを指しているわけではない。様々な人や団体が、それぞれの理念・形態・スタイルで、思い思いの「学び育ちの場づくり」に挑戦している。そういうものに出会ってほしいという意味だ。

なぜなら、多様な教育との出会いによって以下のようなことが起こるから。

1. 無意識に持っている「固定観念」や「諦め」が自覚される

教育というのは、誰もが「受け手」としての経験を持っていて、だからこそみんなが自分の 経験をもとにした「これがアタリマエ、ふつう」という価値観を持っている。
多様な教育に触れることで、教育って、学校って、授業って、「こういうもんだ」というイメージが崩れる。それは教育者として選択肢が広がる、ということでもある。
また、自分にとって「ふつう」の枠外の実践を知ると、「これは、公立校では無理だ」「特別なこの人だからできたんだ」という反応も起こりやすい。これは、その人にとって「普段何がハードルに感じられているのか、何を諦めて過ごしているのか」ということと裏表だ。それを見つめることはもちろんしんどいけれど、「諦めている自分」を自覚することは、次につながる一歩になると思う。

2. 自分が「教育観」が、比較によってクリアになる

多様な教育に出会うと、自分がいろんな反応をする。違和感を抱いたり、共感したり。
自分が「よい・素敵・ワクワク!」となる教育のカタチはどういうもので、自分が「いやだ・違う・モヤモヤ」となる教育のカタチはどういうものなのか。こだわりたいことは、大切にしたいことは何なのか。
まなびの現場をつくる人にとって、その軸を明確に持つことはとても重要。エデュコレなんかは特に、多種多様な教育のカタチに”一度にたくさん”触れられるので、それを鏡にして、自分の教育観を確認するのには打ってつけだと思う。

3.子ども・学習者の多様性に気づくことができる

学び手は多様である。自分が子どもだった時に、「すごく良かった!」と思う経験が、どの子にとっても「すごく良かった!」かどうかは分からない。学校行事でクラス一丸となって盛り上がったことが最高の思い出だった人もいれば、その中で同調圧力で疲弊していた人もいる。学校を苦しいと感じる子どもたちを受け止めているフリースクールの存在を知ったり、発達障害の子どもたちに合わせた環境づくりをしている塾の取り組みを知ったり、一人ひとりのニーズに個別に対応しようとしている先生に出会ったりすると、自分の目の前にいる子どもたちの多様性が見えやすくなる。


重要なことは、ここに書いたようなことは、自分とは異なる他者と視点を共有し、自分の着目点や感情の動きを大切にしながら一緒に振り返りをすることで、促進されるのだということ。また、その場限りではなく、日常に戻ってからも、継続的に学び合える仲間や、コミュニティ、サポートが受けられるということも、実際に現場の現実が変わって行くためには、大きな要素だと思う。

だから、一人で視察に行くより、コアプラスのフィールドスタディに参加したほうがいいし、一つだけを紹介する講演会に行くのもいいけど、エデュコレに参加したほうがもっといい。笑)
いや、本当にそう思っています。

さあ、明日はどんな1日になるかな。