忘れてたけど、私、映画が好きです。
自分の立ち位置
実は東淀川区の区政委員になりました。
今日の夜は、co-arcで大好きな「食べたことのないものを食べる部」が開催されていたのですが、それをパスして、東淀川区役所へ。
実は私、昨年秋から、東淀川区の区政会議の委員(公募)になったのです。
▼区政委員とは...
区政会議とは、区民の声を区政に反映させるため、平成23年7月より始まった会議で、区政会議委員はまちのにぎわいや防災・減災、交通安全・防犯、福祉や保健、子育てなど、東淀川区の区政やまちづくりに関するさまざまなテーマについて意見・評価をするという人たちです。
※ 詳しくはこちら↓
大阪市 東淀川区 より住みやすい東淀川区の実現を一緒に考えてください!東淀川区区政会議委員を募集します!
40人以上メンバーがいるということで、本会議以外に、テーマごとにいろいろな部会に分かれて話し合うのですが、今日は私は「子育て教育部会(仮)」に参加。
いやー、非常に勉強になりました!
住んでいる区にどんな子育て支援や、教育支援の施策があるのか、
まとまった情報を提示してくれたうえで、意見交換をできるので、
情報のインプットも多く(区の職員さんの説明もわかりやすい)、しかも子育て経験者や、長年地域活動をされてきた方の声を聞くことができる。
地域のことを知りたいと思っている私にとってはとてもとても有意義でした。
少しでも、区独自の施策づくりのお役に立てるように、勉強していき、積極的にいろんな提案をしていきたいなと思っています。
がんばろーう。
自由の森学園の音楽祭
気持ちよさそうに歌う人たちを見るのは幸せだ。
12月18日、念願叶って自由の森学園の音楽祭に行ってきた。
自森の音楽祭は2日間使って実施されるのだが、私達が訪れたのは2日目。
クラス合唱と学年合唱と、全校合唱と、フィナーレが行われる。
以前から、自由の森の生徒たちの表現に触れることが好きだ。
初めて訪れた際、学習発表会で『世界とつながる』という授業で1学期間学んだことを、ステージで語っている生徒の言葉に、涙が出た。
間違いなく、彼女の頭と心と身体を通って紡がれた彼女の言葉だと感じた。
自分の考えや感覚を手放さないで、あくまでも自分を出発点に、世界とつながる過程。
それを表現にかえて、他者と共有しようとする。
そこに社会をつくる、世界が変わる"芽"のようなものを感じて感動したのだと今になって思う。
絵もすごい。同じカラスの剥製をみて、同じ「森」というテーマで、まったくバラバラの絵が生まれる。
2年間かけて丸太から椅子を彫り出す。ここまでくると、「育てる」みたいな感覚になりそうだ。
* * *
さて今回の話。
クラスごとの合唱。それぞれのクラスで話し合って決めた歌を、クラスによっては演出を加えながら、歌う。ピアノの位置も、歌う場所のレイアウトも、クラスごとに毎回変わる。
音響や照明も生徒がしていた。
MCも生徒が担当。次のクラスが歌う準備ができるまで、スターウォーズの話でつなぐなど、MC力が高い(笑)
内輪受け感はあるけれど、彼らのための行事なのだから問題ないと私は思う。
MCによるクラス紹介の中で、「クラスのアイドル」を聞くという項目があった。
かっこいい人、かわいい人を聞く、というようなニュアンスで、「このコーナー、ちょっと微妙だな」と私は正直思った。私と同じようなことに引っかかりを覚える先生が自由の森にいないとは思いにくい。でも、ここにストップをかけないのが自由の森っぽいかも、と思ったりもする。
規制が先立つと、表現のハードルが上がる。「とりあえず出してみる」ということ損なわれる。生徒が今どんなステップにいて、以前、「鶏を食べる話と少年兵の話を同列に扱っていて、あれは違うと思う」と鬼沢さんが言った。でも、それを本人に今いうか言わないか、考えているように感じる。バランスを取っている。
自由の森学園では合唱に立つこと、歌うことは強制されない。出なくてもいい。というか、「だって無理やり引っ張ってきて歌わせることなんて不可能でしょ?」という感じ。そりゃそうだ。本来的にはそのはず。
もともとクラスの人数も多くないので、それに加えて出ない人が多いと、そのクラス合唱の人数はけっこう少なくなる。やはり人数が少ないと迫力に欠けたり、さみしい感じはある。
でも、歌いたい人が歌っている合唱はすごくって、感動する。歌いながら身体が動く。表情もさまざま。とても気持ちよさそうな子や絞り出すように声を出す子が多いのが印象的。
ステージで歌うということは私にとっては特別なことだ。彼らにとっても一定程度はそうなのだろうけど、なんというか、もっと「普通」っていう感じがする。歌うことは特別なことではなくて、暮らすことや学ぶことの中に溶け込んでいるみたい。それでいて生きるエネルギーの発露のよう。
多分、歌うことだけじゃなくて、言葉を紡ぐことも、絵を描くことも、ものをつくることも、踊ることも。それぞれ自分の気持ちのよい方法で表現をすることができるって尊いなぁ。
生きることは表現することなのかもしれない。そう思うと、息ができなくなるようなことがなんて多いのだろう。また、息の吸い方としての"表現"の術を持たない人もきっと多いだろう。
全校合唱は圧巻だった。すごい。
このあと、会は一旦締められ、フィナーレへ。フィナーレは、さながらクラブイベントのような状態になる。
有志のバンドが演奏し、生徒たちが飛び跳ね歌い踊る。
一部保護者も歌って踊る。
中1から高3までいる中で、体格差もあって、激しくやり過ぎるとぶつかってケガがでたりする可能性もあり、それを実行委員の生徒たちが時々注意を呼びかけるシーンもあった。注意されて反発を示す生徒もいて、「ああ、ここには常に"自由とは何だ?!"というテーマが横たわっているのだな」と改めて思う。
いい1日だった。自由の森にはいつも、元気と発見と、問いをもらう。
きっと数年以内にまた音楽祭に行くのだろうけど、その時はまた違うことを思うんだろうな。楽しみ。
てづくりのみりょく
「ぼくにとっては、チーズづくりも学校づくりも同じこと」と言っていた。
芳仲さんは、なんでも自分でつくってしまう人だ。
てづくりのジャムなどを何度かいただいたことがあるが、めちゃくちゃおいしい。
最初は何の話かと思ったけれど、ようするにこういうことだった。
「家も、電気も、食べ物もほんとは自分でつくれる。だけど、多くの人は、買わないと手に入らないと思い込んでしまっている。それでは消費者でしかいられない。既製品の中から選ぶしかない。(当時は)電気なんて選べもしない。なんでも自分でつくれる、と知ることで人は自由になれる。手に入れたいものは、本当は生み出せる。」
私は、これは素敵だな、と直感的に思った。
自分でつくれるということは、加担したくない大きなシステムに加担しなくて済む、ということでもある。
* * *
なんかでかいことから書き始めてしまった。。てづくりが楽しいということを書こうと思っただけなのに(笑)
いろいろつくっています。
そもそも、co-arcはDIYで改装しました。多くの人の協力のおかげでできました。(写真を見返すと改めてありがたい...)
お友達の西原さんに柚子を大量にいただいたので、柚子まつり。
柚子酒(ホワイトリカー/日本酒/焼酎)、柚子茶、柚子味噌、柚子胡椒、ぽん酢。
これはco-arc夜間学校の「てづくり部」でつくったアクリルたわし。
うで編みマフラー。簡単で30分ぐらいでできた。(モデルはなおちゃん)
今度27日に、てづくり部やります^^
そして、これは昨日。co-arc夜間学校でパンをつくりました。
パンは、発酵して2倍ぐらいに膨らんだりするので、「育ててる感」があって、かわいい。
先生は、D×Pで知り合った中西みちるちゃん。みちるちゃんがパンが大好きなことが伝わって、触発される。またつくろー!と思った。
そんなわけで、いろいろつくるのって楽しいですよ、という記事でした。
(ほんさん、書きましたよ!笑)
ゆく年くる年
「私たちが選択したら、世界を変えることができる」
先日、コアプラスのESD研究会の一回目が行われた。
ESDとは、Educatoion for Sustainable Development(持続可能な開発のための教育)の略。
団体内で、どんな企画や研究会をやりたい?というブレストをしてきた中で、出てきたテーマの1つで、その場で熱があったので残った。
フェローの山本一成くんが担当を買って出てくれて、今回が初回だった。
私は、実はESDは、自分の生涯探求していくテーマなんだと思っている。
「私の人生は私がつくっている」
「私たちの社会は私たちがつくっている」
そんなふうに責任と希望を持って言える人がいっぱいになったら、きっともっと素敵な世界になる。
自分と地域が、社会が、世界がつながってて、関わりあってるんだ、ということの実感を学べたらいいな。
ずっとそう思って、コアプラスの活動も、人権教育のワークショップも、やっている。
今日は、箕面こどもの森学園の中尾有里ちゃんが話題提供をしてくれた。
食の授業を終えた後、プレゼンで、子どもが「私たちが選択したら、世界を変えることができる」と言ったという。すごいなぁと思う。
そんなことを、実感として、頭と心と身体で理解する。
そういう教育がESDだと思う。
私が、「ESDはいいなぁ」と思うのは、コンセプトだからだ。
ちなみに他に私がいいと思っているイエナプランも、ESDほどノンスタイルではないけど、コンセプトである。そしてイエナプランもESDだ。
コンセプトのもとに、システムや取り組み・実践が集まる。それがいいと思う。
ESDを意識すると、自ずと学びはホリスティックになる。
自ずと自分を見つめることになるし、”自分"をつくる手伝いをすることになる。世界とつながるには自分の「観(もののみかた)」必要だからだ。
自ずと人権教育になる。国際理解教育になる。平和教育になる。
自ずと子ども・学習者中心になる。未来をつくるのは子どもだからだ。
だから、教師の役割は自ずとファシリテーションになる。
研究会で、コアプラスのアドバイザーでもあるふーみんさんが
「なんで持続可能な “開発(発展)”のための教育なんだろう。そこにもやっとする。」とつぶやいた。
なぜEducation for Sustainability ではいけないのか。確かに。
国連で採択されて、国が推進している時点で政治的に出てきたものであることは間違いない。
それに注意が必要であることは間違いない。
ただ、正直、ESDって呼ぶかどうかはどうでもいい。それはラベルでしかない。
ラベルは便利に使いつつ、それぞれの市民がやるべきだと思うことをやればいいのだと思う。
…と書いているうちに、電車の窓から遠くに富士山が見える。
手を止めて、しばし眺める。とても美しいと思う。
時々車窓を流れる雑木林も、秋の色に染まっている。
(今、西武池袋線で飯能駅に向かっている。今日は自由の森学園に行くのだ。)
私は、私たちは、どんな未来を見たいのかーー。
深呼吸したくなるような、豊かな自然を残したい。
戦争や紛争や貧困や飢餓で死ぬ人がいないようにしたい。
テロが起こらないようにしたい。
違いのある人たちが互いに尊重し協力し合える未来がいい。
孤独死や虐待がないようにしたい。
安全で安心な食べ物を食べたい。
人や自然を傷つけないプロセスでつくられた物を買いたい。
ホームレスにならなくていいようにしたい。
みんなが自分らしくはたらきながら、心地よく暮らしていける未来がいい。
頭だけではなく、心と身体を使って、学ぶ、はたらく、人と関わる、物事を見る。
数字で捉えられない、目には見えないものにも思いをはせる。
私、いつか現場を持つながら、ESDの実践がやりたいな。
ESDスクールとかつくろうかな。そのためにも、ESD研究会は、ガシッとやりたいな。
* * *
ESDに興味がわいた人におすすめなのはこの本。一番わかりやすくて、包括的。
実践書ではないけど、コンセプトとそれに関連する所項目がまとまっている。